エホバの証人ブログ-jw一般信者タピコの視点から

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 エホバの証人に関する話題を、一人の一般信者の素朴な視点から綴り、感想や観察を述べていきます。

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エホバの証人が使う「組織」や「教師」にはいくつかの意味がある

 エホバの証人には独特の表現がいろいろあります。
「事物の体制」のような聖書の原語の意味を厳密に表そうとした結果として出てきた専門用語もありますが、一般的な語が、一般社会とは異なる意味で使われている表現もいろいろとあります。
この記事では、「組織」と「教師」という語を取り上げます。
これらには複数の意味があり、文脈によって半ば無意識的に使い分けられています。
エホバの証人同士で会話していても、相手がどの意味で話しているかがよく分からないということもあります。

「組織」にはどんな意味があるか

 どこかにはっきりと定義が書かれているわけではないのですが、用例を観察する限り、「組織」には次のような意味があるようです。

1. イエス、天使たち、天に復活した人といった天の組織を含み、また、統治体、支部委員、巡回監督、各会衆の長老と援助奉仕者のことで、教えたり教える仕事をサポートする男性たちを指す。
「聖書的な資格がある男性の役職者」のことで、長老でも援助奉仕者でもないベテル奉仕者の男性や、巡回監督の妻などは含まない。

2. 法人のスタッフ(特別前次官奉仕者)。
主に、外部の方々に対して説明したり、法的な書類に記載したりする時にはこの定義を使います。
長老や援助奉仕者の資格のない男性スタッフや女性も含みます。
ものみの塔聖書冊子協会のスタッフではない各地の会衆の長老や援助奉仕者は含みません。

3. 天の組織と、バプテスマを受けたエホバの証人全員。
エホバの証人は、自分たちは皆、ある意味で一つの家族であると考え、互いに「兄弟」、「姉妹」と呼び合います。(マタイ 23:8)
自分たちは皆、エホバの家族の一員、一つの組織と考えています。

4. 天の組織と、奉仕報告を提出している人。
文化庁の宗教年鑑に掲載されている信者数は、この、伝道者数です。
バプテスマを受けていない伝道者を含みます。
バプテスマを受けていても報告を提出していない人や、毎回集会に出席していても伝道者ではない人は含みません。

5. 天の組織に加え、厳密な定義はないが、集会に欠かさず出席している子供たちや研究生を含み、地元の会衆から「仲間」と見なされている人全て。
概ね、かつて、「わたしたちの王国宣教」を限られた人しか見られなかった頃に、「王国宣教を受け取る資格がある人」とされていた人たちに相当します。
(「2010年代になり、ものみの塔オンラインライブラリーができてから、「王国宣教」は誰でも閲覧可能になりました。
「王国宣教」1987年2月号の「質問箱」、「『わたしたちの王国宣教』を受け取るべきなのはどのような人たちですか。」もご覧ください。)

6. 「地上の組織」を略して「組織」と言っているもので、1.、3.、4.、5.からそれぞれ天の組織を除外したもの。

 7. 「天の組織」を略して「組織」と言っているもので、復活したイエスと14万4000人と善良な天使たちを刺す。
この天の組織はエホバの“妻”にも例えられ、エホバの天の組織にエホバご自身は含まれません。
また、聖なる力によって選ばれた14万4000人のうち、まだ地上にいる人は、天の組織の正式な一員ではないものの、天の組織を代表していることから、この意味での「組織」に含まれる場合があります。(「ものみの塔」1985年10月15日号の「読者からの質問」参照。)

 「組織」には概ね上のような意味があるようです。

「教師」にはどんな意味があるか

 「教師」にも複数の意味があります。
多くのエホバの証人は、教師と聞くと、真っ先にこの聖句を思い出すことでしょう。

 8 あなたがたは先生と呼ばれてはならない。あなたがたの先生は、ただひとりであって、あなたがたはみな兄弟なのだから。
9 また、地上のだれをも、父と呼んではならない。あなたがたの父はただひとり、すなわち、天にいます父である。
10 また、あなたがたは教師と呼ばれてはならない。あなたがたの教師はただひとり、すなわち、キリストである。
´マタイによる福音書 23:8〜10、口語訳新約聖書、1954年版、日本聖書協会、引用はウィキソースから(節番号挿入)。

 エホバの証人は、自分たちの教師また指導者は、イエス・キリストただ一人だと考えています。
聖書が指導者と呼んでいるのは、イエスのほかには、イエスの役割を予表していたモーセと、モーセの後継者のヨシュアだけです。

 とはいえ、この聖句は、「教師」とか「先生」といった語をイエス以外の人に使うことを全面的に禁止しているというわけではありません。
エホバの証人の子供たちは学校の教職員のことを先生と呼びますし、そういった表現自体が全面的に禁止されていると解釈する必要はありません。
「父」についても同じで、エホバだけでなく、自分の男親を父と呼びますし、聖書そのものにそういう表現が出てきます。
マタイ23章の言葉は、教師とか父とかいった語を、宗教的称号として用いてはならない、という意味です。
「長老」とか「開拓者」といった立場に関する名称が、宗教的称号として用いられることはありません。
「田中長老」、「鈴木開拓者」などのようには呼ばず、兄弟・姉妹と呼び合います。
エホバの証人の中には、カトリックやプロテスタントが運営する介護施設に入所している人もいますが、「佐藤神父」などと称号で呼びかけることは控えます。
(「王国宣教」2008年4月号の「質問箱」をご覧ください。)

 それで、宗教的称号として誰かを先生と呼ぶことはないものの、学校で勉強を教えてくれたりレッスン教室で楽器を教えてくれたりする人のことを師匠として尊敬するというのは全く問題のないことです。
また、長老たちのことは聖書で「教える資格がある人たち」と呼ばれており、実際に長老たちは会衆を教えることをしますので、教師と呼ばないにしても、ある意味での先生であることは事実です。(テモテ第一 3:2)
このような側面から、エホバの証人が使う「教師」という語には、いくつかの意味がありますので、以下に列挙します。

1. イエス・キリストのこと。聖書的な意味での唯一の教師。

2. 聖書で、教える資格があるとされる長老たち全員。
宗教団体の中には、夫婦で教会を運営するという仕組みになっているところもありますが、エホバの証人の場合、聖書的な理由から、長老の妻は教える資格があるとはされていません。
おそらく、文化庁に報告している「教師数」も、この、長老の人数ではないかと思われます。
日本の法律では、長老になると宗教家としての義務を負うようになり、刑法の「宗教家の守秘義務」を守る必要が出てきたり、裁判例で特別に認められている宗教家への法的保護が受けられるようになるなどします。

3. 長老および援助奉仕者。
聖書の基準では、援助奉仕者の主な役割は、長老をサポートするというもので、援助奉仕者は「教える資格がある」とは言われていません。
エホバの証人に聞いてみても、援助奉仕者が教師であると考えている人はまずいないでしょう。
音響機器の調整や雑誌の手配などをするお手伝いだと見なされています。
しかし、外部の方々から見た場合、援助奉仕者も頻繁にステージ上から講話を行っている役職者であり、宗教的権威を持っているではないか、という話になります。
今、日本では、宗教法人に対する解散命令について話題になっていますが、その時に重要な要件になってくる、「組織的」な違法行為が何を指すかという話になったとき、エホバの証人と外部の方々とのこの見解の相違が表面化します。
エホバの証人の感覚では、どこかの援助奉仕者が思い付きで聖書に書いていないような勝手な意見を言い出したり、不祥事を起こしたりしても、「やれやれ、あの人また変なこと言ってるよ」という感覚ですが、外部の方々からはそのようには見えないということです。
つまり、上に書いた「組織」の1.の意味に援助奉仕者は含まれるわけで、援助奉仕者も組織の指示命令系統の一部ではないか、ということになります。
実際には、長老と援助奉仕者では、アクセスできる情報が全然違うわけですが、そういった事情は、外部の方々にはなかなか理解されにくいのではないかと思います。

4. 全ての伝道者。
エホバの証人は、聖書伝道は信者全員がすべきだと考えています。
会衆を教えるのは長老だけですが、外部の方々に聖書伝道をして教えるのは、女性を含め、信者全員の務めであると考えています。
イエスご自身、伝道して弟子を作りなさいと言われましたし、女性信者も毎週の集会で聖書を教えるためのトレーニングを受けています。
その意味では、エホバの証人は全員が教師であるとも言えるのです。

 ここまでで述べたように、「教師」にはいろいろな意味があります。
基本的には1.の意味が最も一般的で、普通、エホバの証人に聞くと、「教師はイエスただ一人です」と答えることでしょう。

 エホバの証人には僧職者階級というものがありません。
エホバ以外の誰かを崇拝してはならず、イエス以外の誰かを指導者としてはならず、人を持ち上げて称賛するようなことは慎むべきというのが聖書の教えだからです。
エホバの証人は全員が平信徒です。
ものみの塔協会のニューヨーク法人の旧称は「一般人の説教壇協会」というものですが、ここで言う「一般人」というのは、僧職者階級ではない平信徒たちという意味です。
普通の人たちが、聖書を調べて真理を探求し、信仰を実践しようとしたというのが、現代のエホバの証人の歴史の始まりです。

 エホバの証人の間には、特別な階級というものはありませんので、長老だけが特別な服装や髪型をしているとか、長老になると名前が変わるとかいったこともありません。
フレンドリーな長老も多く、権威を振りかざして威張り散らしているような長老はまずいません。
長老と一緒に遊んだり食事したりということもよくあり、皆から友達だと思われています。
これは、エホバの証人という宗教の、とても良いところです。

 もっとも、エホバの証人社会も、不完全な人間の集まりであり、権威主義という問題と全く無縁だというわけでもありません。
ただ、問題があるとしても、その性質は他の宗教とは少し異なります。
どこかの会衆に問題を起こす長老がいると噂になっている場合であっても、その多くは、権力を乱用して威張り散らしているのではなく、権力に無自覚であることに起因するトラブルの話です。
腰が低い長老が多いことは悪いことではないのですが、やはり長老の発言には影響力がありますから、長老たちは、自分が発する言葉で多くの人が動いたり、自分の言葉一つで個人的な決定を左右させてしまうことがあり得るということを、もっと自覚する必要があると思います。

 全員が平信徒であると同時に全員が教師であり、聖職者である、という二面性は、ときに、責任の所在を不明瞭にしてしまうという問題を引き起こします。
今、日本のエホバの証人社会は、かつての体罰問題のことで厳しい指摘を外部から受けていますが、この時に、組織とはどこまでを指すのか、誰が教師なのか、といった点の不明瞭さが、話を分かりにくくさせてしまっているところがあります。
この点は、後日別の記事に書きます。
この記事では、言葉の意味の説明にとどめておこうと思います。

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