エホバの証人ブログ-jw一般信者タピコの視点から

不定期更新です。長文多めです。貴重なお時間を割いて読んでくださり、ありがとうございます。


 ご訪問ありがとうございます。
 エホバの証人に関する話題を、一人の一般信者の素朴な視点から綴り、感想や観察を述べていきます。

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ブログ開設7か月

 おかげさまで、昨年11月にこのブログを立ち上げてから7か月が経過しました。
当初、このブログでの情報発信の目的は、次のようなものでした。

  • 疑念を抱いたり動揺したりしている兄弟姉妹を助けること
  • 感情的な問題などを理由に躓いてしまった、今は会衆に交わっていない方々にエホバの愛を伝えること
  • 誠実な懸念を抱く研究者や報道関係者に情報提供を行うこと

 しかし、先月中旬に対象読者を変更し、それ以降は一般の方向けの記事は書かないことになりました。
今後は、兄弟姉妹、エホバの証人関係者のみを対象として執筆活動を行います。

 また、つい最近、ブログの更新を終了したり閉鎖したりする基準を決めました。
詳しくは限定ブログでご説明しますが、ある一定の条件が整って、私が情報発信を行う必要性がなくなれば、公開ブログの執筆を中断もしくは終了し、ブログを休止もしくは閉鎖します。

 ネットで「エホバの証人」と検索すると、批判的な情報がたくさん出てきます。
それもそのはずで、立派な信仰を持った善良な兄弟姉妹は、「王国宣教」1997年12月号に掲載された指針に従い、ウェブでの情報発信などしませんから、ネットでエホバの証人に関する情報発信を行っているのは、エホバの証人の公式ウェブサイト jw.orgを別にすれば、背教者や反対者や批判的な現役信者や認識のない不注意な信者ばかりです。
私のように、規則をやぶる聖書的根拠まで示してブログを開設する理由を説明したエホバの証人のブロガーは、ほかにいないのではないかと思います。
また、私はブログのことを会衆の長老に話していますし、ものみの塔出版物からの引用は行わず、jw.orgの利用規約を順守していますし、背教文書からの引用も行っていませんから、ブログを開設したという事実を別にすれば、手続き上の問題はないように思います。

 すでに、迷いや動揺を抱える二人の姉妹を助けることができており、そのことだけでも、私がこのブログを立ち上げた甲斐があったというものです。
私は、自分のブログを会衆内外の友人たちに宣伝するつもりはありませんし、有人たちには「エホバの証人」で検索してあれこれ情報収集をするようなことは勧めていません。
むしろ逆に、公式の情報源から信頼できる情報を参照するように勧めます。
しかし、中にはネットニュースをあれこれ読んだりして不安や動揺を抱えている兄弟姉妹が一定数いるのは事実であり、そういった兄弟姉妹に、私のブログが役立てばと思っています。
エホバの証人に関する報道を一切見ない、ふさわしい認識を持った信仰の厚い兄弟姉妹には、私のブログなど必要ないのです。

 限定ブログに登録してくださった方も、そのほとんどは疑念や不信感を抱えているというわけではなく、私のブログがなかったとしてもご自分でご自分の信仰を守り通すことができた方々だと思っています。
ですから、本当の意味で私のブログを必要としていた方々は、比較的少数かと思います。
「兄弟のブログのおかげで疑念が払拭できました」とか「エホバを待つことの意味や組織に対するふさわしい認識がどのようなものかが分かりました」などと言われると、私としても、ブログを書いてよかったと感じます。
私がブログを書く目的は、「信仰を失わず、エホバを待ちましょう」と兄弟姉妹を励ますことにあります。

指摘に答える

 実際に受けた指摘やありそうな指摘について、ここでお答えしておきたいと思います。

霊的な食物を供給する、忠実で思慮深い奴隷に対して挑戦的な行為ではないか

 この指摘は当たらないと考えています。
私は、統治体に替わって『霊的な食物の供給』をしようとしているわけではないからです。
愛する兄弟姉妹を励ます個人的な手紙を書いているようなものです。

本来あなたがすることではないのではないか

 このご指摘は全くそのとおりだと思います。
ただ、このような指摘をなさる方には、なぜ私がこのようなブログを立ち上げなければならない状況に追い込まれたのか、ということをお考えいただきたいです。
これ以上の詳細を、今ここで述べるつもりはありません。
限定ブログの読者の皆さんなら、お分かりいただけるでしょう。

ネガティブな内容が大飯のではないか

 エホバの証人組織のネガティブな面に言及することはありますが、そうする目的は、エホバを待つとはどういう意味かを説明し、「信仰を失わないようにしましょう」と読者を励ますことにあります。
エホバの証人組織の問題に言及するからと言って、権威に対する反抗を煽ったり、特定の人の悪口を言ったりはしていません。
むしろ、聖書中の例に読者の注意を向け、真の信仰とは何かを語り、「あきらめることなくエホバを待ちましょう」と読者を励ましています。

ほかにもっとやるべきことがあるのではないか。ブログの執筆に多くの時間を割くのは賢明ではないのではないか

 これは、「王国宣教」1999年11月号の「インターネットの使用 ― その危険に注意してください」という記事の24-26節に書かれている指摘です。
確かに、 ブログの執筆に多くの時間を割いているのは事実です。
しかし、読者の命がかかっているのなら、それくらいは惜しんではいけないと考えています。
私は、単なる趣味や意見の発信のためにブログを書いているわけではありません。
愛する仲間を助けるためにブログを書いており、実際に「救われた」という声は複数寄せられています。

執筆活動の目的と適合していない記事があるように思うが

 まずは多くの人に見てもらう必要がある、と考え、世間一般の関心が高いような記事や、検索キーワードを詰め込んだような記事を書いたりもしていましたし、更新頻度も気にしていました。
しかし、対象読者を兄弟姉妹に限定してからは、そのような記事は書いていません。
また、最近は徐々に検索で上位表示されるようにもなってきたので、そういった記事を書く必要もなくなりました。
アクセス数を増やそうとして対象読者がぶれてしまったことがあったのは、私としても反省しています。

素性が分からない人とネット上で交流することには危険が伴うのではないか

 これは、「王国宣教」1999年11月号の「インターネットの使用 ― その危険に注意してください」という記事の10-18節にある指摘です。
この指摘はそのとおりだと思います。
基本的には交流を目的としているわけではありません。
兄弟姉妹限定ブログへの読者登録に当たっては、兄弟姉妹であることを確認する質問に答えていただいています。
とはいえ、もしかしたら兄弟姉妹ではない人が限定ブログを見ている可能性があるということも考慮し、限定ブログとは言っても機微情報を載せないようにしています。
また、エホバの組織内に“自分のグループ”を作らないようにする、という点についてはかなり慎重に行動しています。
それで、読者と読者を引き合わせるようなことはしていません。
具体的な手法については、ここには書けないこともありますが、「読者を選ぶ」ということについては、いろいろと気を配っているつもりです。

あなたの真似をする人が次々と現れてしまうのではないか

 それは、私としても望んでいることではありません。
私は、愛する兄弟姉妹を火の中から掴みだす覚悟でブログを書いており(ユダ 23)、「それほどの覚悟がないのならブログでの情報発信などしないほうが良い」と言ってきました。
私は憐れみに動かされて矢面に立つ決心を固めました。
こんな苦しみを味わう人は、私くらいで十分です。

 また、私は、ネットでの情報発信を考えている兄弟姉妹に、同じ会衆の長老など、自分の霊的な資質を評価したり割り当てを与えるかどうかを判断する立場にある人にはそのことを包み隠さず話すのが良いと思いますと申し上げ、それが、エホバとエホバの取り決めに対する敬意というものではないかとも言い添えました。
もし、「タピコさんがやっていたから」と安易にブログを立ち上げる兄弟姉妹が出てきても、私としては困ってしまいます。
大切なのは、動機と覚悟と目的です。
私は、自分がやっていることがエホバの証人組織の指針に反することだという事を認識し、それを長老に報告したうえで、聖書的根拠があると確信し、エホバの憐れみにかけてこの活動をしています。
そして、もし自分の判断が間違っていた場合に、全ての結果を引き受ける覚悟をしています。
これは、中途半端な信仰でできることではありません。
もしだれかが、私の真似をしてエホバの証人に関するブログを立ち上げたとしても、その人の目的が「長老を挑発する事」であったり「自分の知識をひけらかすこと」であったりしたら、その人はエホバの前でどのような言い開きをするのでしょうか。

ほかの兄弟姉妹が、自分の思考力を用いてエホバに仕える妨げになるのではないか

 これは、「王国宣教」1999年11月号の「インターネットの使用 ― その危険に注意してください」という記事の19-23節にある指摘です。
割り当てのテンプレートのようなものをホームページ上で公開する人もいたそうですが、そのような情報発信は、兄弟姉妹が自らの思考力を用いて信仰を培う妨げになります。
この点は私も気を付けており、例えば集会で扱われる資料について言及する場合には、集会が終わってから記事を投稿してきました。
私のブログに影響されてどなたかが集会でコメントしたり、集会の講話を扱う兄弟が私のブログを見て話を準備したりするようなことがあってほしくはないと思っているからです。
そして、ブログを書く時にはいつも、「答」ではなく「ヒント」を書き、読者の思考を刺激するようにしています。
その論題に興味を持った読者が追加的な調査を行えるように「調べ方のヒント」を書くなどしています。

その指針の元になっている原則が守ろうとしているものを侵してはいない

 私が行っている執筆活動は、エホバの証人に関係するウェブサイトなどを立ち上げる必要はない、という「王国宣教」1997年12月号の指針に反するものではあっても、その指針の元になっている聖書の原則が守ろうとしているものを侵してはいない、と考えています。
また、「王国宣教」1999年11月号の注意喚起についても、その記事の指針の元になっている原則が守ろうとしているものを侵さないように気を付けています。
憐れみに動かされて内規とは相容れない行動を取ったとしても、聖書が定義づける罪を犯しているとは思っていませんし、エホバは私を憐れんでくださると考えています。

 ルールは何かを守るためにあり、そのようにしてルールで守ろうとするもののことを「法益」と言います。
ルールに違反していても法益が侵されていないなら、それは大きな問題ではないはずです。
この点については、こちらの記事で説明しています。

 これは聖書的な考えでもあります。
イエスが、信仰ゆえにルールをやぶった人たちを褒めたという例が聖書にはいろいろと書かれているからです。

これからも、読者の皆さんの声に耳を傾けていきます

 これからも、読者の兄弟姉妹の声に耳を傾けてまいります。
聖書に基づくご指摘やご忠告には、きちんと耳を傾けなければなりませんし、そういった指摘を受けて、私が考えを変えることもあると思います。
引き続き、読者の皆さんの声をお聞かせください。

こちらもご覧ください

当ブログの関連記事

エホバの証人の“擁護活動”をしたいと思っている人が弁えるべきこと  ホームページやブログでの情報発信を考えている兄弟姉妹に向けて書いた記事。

「このブログを立ち上げたきっかけと動機、情報発信の方法と目的について」  私がブログで情報発信を行うに当たり、どのようなことを考えたか、ということを書いています。

「タピコは信頼に値する人間なのか´調査へのご協力について」  読者との信頼関係を築くという事について、私の考えを書いています。

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